辺見庸の電子書籍・抵抗三部作

永遠の不服従のために
辺見庸・初の電子書籍。逆走する世界に抗いつづけるための論考・エッセイ集「抵抗三部作」の第一作。
2001年9月11日の米国同時多発テロによって剝ぎとられた幻想のヴェールの下から、まったく意想外の貌が次々に露出していく。アフガニスタンへの米軍の非道きわまりない報復戦争、テロ対策特措法の通過、自衛隊の参戦、有事法案の閣議決定……。丸山眞男、宮沢賢治、柄谷行人、北原白秋、ジョージ・オーウェルら表現者の言葉や人びとの変節を例に引きながら「いま」の実相を解き明かし、「個」としての生き方を自問する。
「きたるべき(あるいはすでに到来した)戦争の時代を生きる方法とは、断じて強者への服従ではありえない。(中略)暗愚に満ちたこの時代の流れに唯々諾々と従うのは、おそらく、非人間的な組織犯罪に等しいのだ。戦争の時代には大いに反逆するにしくはない。」(「あとがき」より)
『サンデー毎日』連載「反時代のパンセ」に加筆・訂正し2002年10月毎日新聞社より四六判刊行、2005年5月講談社文庫より刊行。
(希望価格・本体800円+税)


いま、抗暴のときに
辺見庸・初の電子書籍! 逆走する世界に抗いつづけるための論考・エッセイ集「抵抗三部作」の第二作。
2003年3月20日、米英軍によるイラクへの侵略戦争が開始された。イラクによる大量破壊兵器製造の可能性をなじり、大量破壊兵器をどの国よりも大量に保有、製造する米軍が、大量の精密破壊兵器を駆使して一方的な殺戮を展開する。この途方もない不合理と絶対暴力に呑みこまれる世界、付き従うコイズミ、どこまでも追認するメディア……。組織や思想の基軸のすべてがシャッフルされた「いま」こそ、組織性を剝いだまったくの個として、「個の魂」の主体性や自発性を優先的に考え、「個の戦線」に戻るべきだと説く。
「戦争構造はいま、まっとうな声を蹴散らしてますます膨らみつつある。(中略)いまほど戦争という絶対暴力に抗わなければならないときはない。だから、抗暴の発想を私はいつまでも撤回しない。」(「あとがき」より)
『サンデー毎日』連載「反時代のパンセ」他に加筆・訂正し2003年5月毎日新聞社より四六判刊行、2005年8月講談社文庫より刊行。
(希望価格・本体800円+税)

抵抗論
辺見庸・初の電子書籍! 逆走する世界に抗いつづけるための論考・エッセイ集「抵抗三部作」の第三作。
被爆した死骸への想像力をたくましくすること。国家の発想を徹底的に排除すること。孤立を怖れないこと。母や子らの死骸に寄りそうて世界を考えること。――アフガニスタンやイラクへの侵略戦争と日本によるそれらへの加担に反対する根拠は、別して憲法にあるだけではない。憲法以前の、人間的判断が常に先に立つのだ!
「メディア知や国家知を徹して疑う。怒りの内発を抑えない。一人びとりが内面に自分だけのそれぞれに質の異なったミニマムの戦線を築く。そこから街頭にうってでるか。いや、いや、街頭にうってでるだけが能ではなかろう。どこにも行かずひたすら内攻し、その果てに日常にクラックを走らせるだけでもいい。この壮大な反動に見合う、自分独自の抵抗のありようを思い描かなくてはならない。」(本文より)
『サンデー毎日』連載「反時代のパンセ」他に加筆・訂正し2004年3月毎日新聞社より四六判刊行、2005年11月講談社文庫より刊行。
(希望価格・本体800円+税)

●販売サイト
Kindleストア(アマゾン)
iBooks Store(Apple
koboイーブックスストア(楽天)
Kinoppy(紀伊國屋書店)
honto(大日本印刷)
BookLive(凸版印刷)
VarsityWave eBooks(大学生協)
やまだ書店(ヤマダ電機)
yodobashi.com(ヨドバシカメラ)
mibon(未来屋書店)
ブックパス(KDDI)
Reader Store(SONY)
COCORO BOOKS(シャープ)
dマーケット BOOKストア(NTTドコモ)
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●2016年11月9日(水)
鉄筆は創業から四年目を迎えました。今期は電子書籍の制作・販売に挑戦します。初作品は、辺見庸「抵抗三部作」。『永遠の不服従のために』『いま、抗暴のときに』『抵抗論』の三冊を11月下旬に同時発売予定です。辺見庸さんにとっても電子書籍化は初の試み。ご期待ください。

5 件のコメント:

  1. 電子書籍は苦手だけれど辺見庸さんのものとなると。

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    1. コメントをお送りくださりありがとうございます。
      私も電子書籍は苦手でした。
      でも、辺見庸さんの作品となると、話は別です。
      初体験で苦労しましたが、電子書籍制作は有意義なものでした。

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  3. はじめまして。

    都内郊外在住の50代男性です。精神障害者兼(所謂)引きこもりです。

    辺見庸さんのこと、辺見さんの著書について、毎日悶々と悩んで、誰に伝えたらいいのか。勿論あんな大物に一介の読者の思いのたけを届けることなどできません。けれども、どうしても、吹っ切れません。

    どうしたらいいのか。もしこの狂人の愚問にアドバイスなどありましたらお聞かせ願えれば幸いです。

    「悩み」の内容は「大雑把に」書くと以下のようになります。



    「一般に、長生きの革命家や芸術家ほど我々をいたく失望させるものはない」と述懐したのは他ならぬ、辺見庸氏でした。

    わたしは一部を除き、ほとんどの辺見氏の著作を愛読してきました。特に、脳の病で倒れてからの著作は、お守りのように、いつでもカバンの中に入れていました。殊に愛読していたのは、『自分自身への審問』『水の透視画法』『今ここに在ることの恥』『たんば色の覚書』・・・エト・セトラ。

    けれども、昨年の『月』出版に際してのドタバタ劇にまさに「ブルータスお前もか!」という幻滅を見せつけられました。

    あのような内容の本を出版しながら、講演会場で著者によるサイン本即売会とは・・・

    わたしは精神障害者で、所謂引きこもりでもあるので、なかなか外出はままなりませんが、中央線一本で行けるということで、昨年12月の紀伊国屋での講演会のチケットを、早々に母と二枚分手に入れました。けれども、その後の、なりふり構わぬ販促活動の様子を見て、結局無理をしてまで行く価値を見出すことが出来なくなりました。

    辺見さんはご自身のブログで、朝日新聞からNHKまで所謂大手マスコミを撫で切りにしてきました。けれども、いざ新刊の出版となると、A新聞のマークは「旭日旗みたいだ」と揶揄していた新聞社のインタヴューに微笑を湛えて応じる。NHKもご自分の作品に関連する作品のスタッフ及び作品の出来は褒めあげる。

    わたしは精神に障害がありますので、発言と、行いにとの間に乖離があるということが理解できなません。
    (一般にそれを「大人の世界」というのでしょう)

    『これからは書きたいことだけを書かせてもらう。作品評価も本の売れ行きもどうでもいい。
    百人支持してくれればいい。いや、五十人でいい。百万人の共感なんかいらない。そんなもん浅いに決まってるからね。』
    — 辺見庸 『記憶と沈黙』より

    そんなことを書きながら、一方で、「(『月』に)200冊サインさせられた」とボヤいでいる。
    人はここまで変わるのかという想いで彼のブログを読んでいました。

    日頃散々けなしておいて、いざとなると本の売り上げに一役買ってもらうのなら、彼らの援けが必要なら、日頃から悪口など謂わない方がいいのです。
    「万物の物象化」──「著者のサイン本」は付加価値があるからこそ「売れる」。そんなことは百も承知だ。だから「イヤイヤながらも」「サインさせられた」。ここに言動の不一致があります。

    心底辺見氏の考え方、そして文章に心酔していただけに、彼との訣別は悲しい出来事でした。

    更にわたしをガッカリさせたのは、辺見氏が、『月』販売以前から、執筆期間の様子、講演会の告知、その報告など、昨年初夏から、ブログに書かれた『月』出版関連の記事をそっくり削除したことです。

    何故?

    ちなみに『月』は精力的な販促活動の甲斐あって、わが府中市でも、全12館ある図書館で11冊が購入されました。けれども、今現在、在庫11冊。借り手ナシ。

    これまでも、11冊中2冊以上が貸し出されていたことを見ません。

    『純粋な幸福』は1冊購入され、たまに貸し出されていることもあるようです。
    無論わたしはどちらも読んではいません。

    『純粋な幸福』図書館に予約を入れて、順番がきました。けれども、どうしても、どうしても、手に取ることが出来ません。

    今昨年12月24日のわたしのブログの投稿を読み返してみました。
    「もし仮に、18日の講演会に行って、質疑応答の時間があり、発言のチャンスがあれば、何をおいても訊きたかったのは、『月』という障害者の殺戮をテーマにした小説を書き上げる際に感じたであろう「痛み」。そして、この本に込められているであろう「悼み」と、「会場での著者によるサイン本即売会」とは、辺見さんの中で、どのような地平で地続きなのか?と・・・

    辺見さんの本は、『自分自身への審問』も『水の透視画法』も『今ここに在ることの恥』も『たんば色の覚書』も『しのびよる破局 生体の悲鳴が聞こえるか』も、全て処分しました。
    けれども、なかなか想いが断ち切れずに困惑しています。

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  4. 追伸

    『本書(『抵抗論・国家からの自由へ』)の上梓により、『永遠の不服従のために』にはじまる論考・エッセイ集は『いま抗暴のときに』をはさみ、3冊目となった。タイトルの”つよさ”からか、これらを”抵抗3部作”と呼ぶ向きももあるようだが、著者にはそうした大仰な意識はまったくない。
    ー(中略)ー
    「不服従」「抵抗「抗暴」の字面は、いわれてみればたしかに穏やかでない。しかし穏当を著しく欠くのはむしろ世界の情勢のほうなのだというのが、私の言い分である。
    「不服従」や「抵抗」といった、いささか古式でそれ自体の正当性をいいはるたぐいの言葉は、よくよく考えると私の好みでもない。アグレッシヴなこれらの言葉と人の内面の間には、しばしば到底埋めがたいほど深い溝があるからである。
    それなのに敢えてこれらのタイトルを冠したわけは、決して私の衒いや気負いではなく、おそらく喫緊の状況がそうさせているのだ。と、申し上げておく。
    世界は今、「不服従」「抗暴」「抵抗」を”テロ”という名辞で暴力的に一括して完全に消去しようという流れにあるように見える。わたしの考えでは、しかし、「不服従」や「抗暴」や「抵抗」がさほどまでに忌み嫌われているのとまったく同時に、これほど必要とされ、求められている時代もかつてないのである。』
    — 辺見庸 『抵抗論・国家からの自由へ』 あとがき 2004年



    この三部作ももちろん熟読しました。

    結局、食するために働かねばならない「人間」が、表現者になるのは言語道断との命題は、かのリラダン伯以来、今なお問い続けられるべき問題です。ボクサーの殴られ役によって得る僅かな稼ぎで生き延びたリラダンが、かくまで高貴なコント・クリュエルを著したのは悲壮を通り越して、言葉の正真の意味での残酷です。

    辺見さんはわたしの行かなかった講演会で「行旅死亡人」について語る予定だったと。演台から聴衆に向かって「野垂れ死に」について「語る」よりも、
    「野ざらしを こころに 風の沁む身かな」(芭蕉)
    という心根を持って欲しかった。

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